私の挑戦記録

未就学児3人を抱える会社員ママ、副業にチャレンジします!

基本情報

・たまき

・銀行員(入社11年目)

・3姉妹(5歳、3歳、0歳)子育て中

・埼玉生まれ埼玉育ち

私は現在、三度目の育休を取得中です。

過去2回の育休では、子どもとのんびり過ごしていましたが
今回は、Webマーケティングの知識を活かした副業に挑戦しています!

目標は、1年で副業月収20万円を達成することです。

会社員一本で10年間過ごしてきた私が、どうして副業に挑戦しようと思ったのか。

その理由と経緯について、私の自己紹介を交えながらお伝えしたいと思います。

小学生〜中学生:負けず嫌いな優等生

私はごく普通の家庭に育ちました。

サラリーマンの父と、専業主婦の母、3歳上の姉。

勉強が得意だった私は、いわゆる優等生として小学校、中学校生活を過ごしました。

友達にテストで負けると悔しくてたまらないような、負けず嫌いな子どもでした。

高校生:初めての挫折と決意

高校は県内上位の進学校へ。

入学式翌日の学力テストで、周囲のレベルの高さに愕然としました。

自分は勉強ができると思っていたけど、そうでもなかったんだ…。

入学早々、鼻をポキンと折られました。

しかし、友人に恵まれた高校生活は、とても楽しいものでした。

運動が好きだった私は、ボート部に入部しました。

部活と勉強の両立は大変でしたが、仲間と切磋琢磨しながら練習に励みました。

高校3年生の夏、関東大会に出場したものの、全国への壁は厚いものでした。

実力不足を痛感し、悔し涙を流して引退を迎えます。

引退後は、ひたすら受験勉強

私にはずっと憧れていた大学がありました。

緑あふれる、落ち着いた雰囲気のキャンパス。

ステンドグラスから光が差し込む、美しい図書館。

ここで大学生活を送りたい!その一心で猛勉強しました。

しかし、結果は不合格

人生で初めての大きな挫折。世界が灰色に見えました。

「あんなに頑張ったけど、だめだった…。」

しばらくは落ち込んでいましたが、第二志望の大学に進学することを決めました。

そして、ある決意をしました。

私はこの大学で、絶対に悔いのない日々を過ごす!

卒業するときには「この大学に行って良かった」と思ってみせる!

大学生:青春を捧げて掴んだ日本一

私が入った大学は、全国からスポーツ推薦の学生が集まってくるようなスポーツ強豪校

私は高校に続き、ボート部への入部を決めました。

高校時代は実力が足りず、全国大会には出場できませんでしたが、
トップレベルの環境で練習を積めば、自分も高みを目指せるはずだと考えたのです。

その根本には、「この大学で悔いのない日々を過ごす」という決意がありました。

なんとなく勉強して、なんとなく楽しく過ごすより
たとえ過酷だとしても、情熱を燃やして日々を過ごしたい。

そんな思いで、大学でもボートを続けることを決めました。

しかし、練習は想像以上にハードなものでした。

早朝4時半からの練習。

厳しい上下関係。熾烈なレギュラー争い。

過酷な練習で痛む脚、腰、腕、もはや全身。

合宿所のトイレでこっそり涙を流したことも、一度や二度ではありません。

それでも「ここで負けてたまるか!」と自分を奮い立たせ、灼熱の夏も、凍えそうな冬も、ひたすらに練習を重ねました。

部活だけに全振りした大学生活でした。

そして大学4年生の秋、私はレギュラーに選ばれ、全日本選手権で優勝しました。

表彰台に立ったとき、

「この大学に入って良かった。何の悔いもない。」

と心から思いました。

大学卒業後は、内定を貰っていた銀行に就職します。

社会人:営業への葛藤

銀行の同期はみんなレベルが高く圧倒されながらも、負けず嫌いさを発揮して
日々がむしゃらに働きました。

忙しい時期には、終電で家に帰り、4時間寝たらまた出社。

学生時代に培った体力と根性のおかげで、何とか挫けずに5年間を過ごしました。

お客さまや同僚に恵まれ、辛い中でもやりがいを感じていましたが、
憂鬱だったのが「期末のセールス」でした。

私は営業だったので、ノルマに追われる日々。

特に決算が近づくと、無謀なほどの目標が割り振られます。

そのノルマを達成するために、ひたすらお客さまを訪問しては検討状況を聞いたり、
時には情に訴えかけて契約を取ろうとしたり…

「これってお客さまのためになってないな…」

「もっとこのサービスを必要としている人に届けられないのかな?」

決算を迎えるたびに、苦い気持ちを抱えていました。

そんな中で、第一子を妊娠します。

新米ママ:育児で気がついた働く喜び

 無事に長女を出産した翌日、クルーズ船でのコロナ集団感染のニュースが流れました。

子育て支援イベントは全て中止となり、赤ちゃんと2人きり、家にこもる生活。

社会から切り離されたような、自分が無価値であるような、
そんな不安な気持ちでいっぱいでした。

子どもの保育園入園が決まった時、正直ほっとしました。

復職後は慌ただしい毎日でしたが、社会とのつながりを感じられることが嬉しかったです。

その後、第二子を妊娠、出産。

産後4ヶ月で復職しました。

ワーママ:昇格の壁

育休から復帰した私は、やる気に満ちていました。

「よし、またバリバリ頑張って働くぞ!」

自分のノルマに加え、他のメンバーの仕事も率先して受けるようにしていました。

私の勤める銀行では、昇格のタイミングは年に1回。

産休・育休の期間を差し引いたとしても、今年は昇格できそうかな、と期待していました。

しかし、昇格見送り。

周りの同期や後輩は順調に昇格しているのに…と落ちこみましたが、
気を引き締め、今まで以上に努力しようと決めました。

その1年は通常業務に加えて、数件のプロジェクトリーダーを務め、
子どもを寝かしつけた後に家で残業することもしばしば。

年度の目標も達成し、これなら行けるだろう!と思っていました。

結果は、またしても昇格見送り。

上司に理由を聞いても、はっきりとした答えはありません。

どんどん次のステップに進んでいく周囲に、置いていかれるような気持ちでした。

私も負けたくない。でも、先に進めない。

悔しさでいっぱいでした。

子育てしてたら、仕事は諦めるしかないの?

もしかして、私のキャリアってここで終わり?

そんな不安とやるせなさを感じながら、働き続けました。

そして第三子を妊娠、出産します。

三度目の育休:働き方の模索、スクールとの出会い

今回の育休期間は約1年間。

この機会に、今後の働き方を考えることにしました。

今の仕事内容や給与、人間関係に大きな不満があるわけではありません。

ただ、頑張っても評価に繋がらない、キャリアの行き止まり感は辛いものでした。

このモヤモヤを、どうしたらいいんだろう…

子どもの世話をしながらYouTubeやInstagramをぼーっと眺めているうちに、
とあるオンラインスクールを見つけました。

そのスクールでは様々なWebスキルを身につけることができ、フリーランスや副業として
人生のどんなフェーズでも「自分らしく働く」ことを目指す、というものでした。

仕事といえば、会社に雇われ、会社に合わせて働くもの。

キャリアとは、会社の中で積み上げるもの。

10年の会社員生活でそう刷り込まれていた私は、世界が開けたような気持ちでした。

理想の働き方って、会社の中で叶えなくてもいいのかもしれない。

私はスクールへの入会を決めました。

新たな決意

産後3ヶ月でスクールに入会し、そこからほぼ毎日、学習を続けています。

こんなに熱心に勉強するのは大学受験以来かもしれません。

スクールで学べることはライティングやWebデザイン、動画編集など様々あるのですが、
私が最も興味を持ったのが、全てに共通する「マーケティング」の考え方です。

これまでの私は、マーケティングの知識は皆無。

横文字で難しそうだな、くらいにしか考えていませんでした。

しかし、学んでいくうちに「すべてのビジネスマンはマーケティングを学ぶべきだ!」と
思うようになったのです。

マーケティングのゴールは、営業せずに売れる仕組みを作ること。

マーケティングスキルを身につけたら、
期末の憂鬱なセールスをしなくてよくなるかもしれない。

副業やフリーランスとして働く時にも、営業せずに仕事を獲得できるかもしれない。

ワクワクしてきた私は、マーケティングを本格的に学ぶことを決めました。

同時に、その知識を活かして副業を始め、会社員とは別の新たなキャリアを積み上げることにしました。

描く未来と、これからのこと

私はマーケティングとWebスキルを身につけ、この1年で副業月収20万円を達成します。

決して簡単な道のりではないと思います。

ですが、私は負けず嫌いで、欲張りです。

子育てをしているからといって、周りにも、自分にも負けたくない。

キャリアを諦めたくないのです。

これから、私がWebマーケティングを学びながら副業に挑戦する姿を
ありのままにお伝えしていきます。

そして、子育て中でも、会社での出世ルートが閉ざされていても、キャリアは描ける!
ということを示していくことで

私と同じように会社からの評価に落ち込んでいる人を勇気づけたい。

こんなキャリアの積み上げ方もあるんだ、と知ってもらいたい。

そんな思いで発信をしていきます!

最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました!